切り絵アーティストの蒼山日菜(あおやまひな)さん。

お若いと思っていたら、まさかの同い年ということで勝手に親近感が湧きますが、蒼山日菜さんのこれまでの生き様を聞くと、とんでもない苦労人だということがわかって驚きました。

フランス人との前夫との結婚からの離婚劇はすさまじいとも言えるものです。

その結婚生活の中で人種差別にも会ってきたという蒼山日菜さんについて、今回は迫ってみたいと思います。

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蒼山日菜(切り絵)の離婚までのいきさつ

 

蒼山日菜さんは、世界で活躍する切り絵アーティスト。
その作品は「レース切り絵」と呼ばれるほど繊細な線が生み出す芸術品です。「これがハサミだけで!?」と誰もが目を疑うほどのものだと思います。

そんな蒼山日菜さんは、1970年12月生まれの47歳。
年齢を聞いて驚きましたが、20代のお子さんもいるというからますます驚きです。

でも、順風満帆なアーティスト人生を送ってきたわけではなく、すごい経歴の持ち主でもあります。

小学生の時に両親が離婚。母方に引き取られたものの、高校も自分でバイトをしながら学費や食事代を稼ぐ日々だったそう。
卒業後は地元の企業に就職するも、ふらっと出かけたパリである男性に出会い、一緒に暮らすようになり、その後結婚。

でも、その男性がとにかくすごい人だったようです。
とにかく蒼山さんの周囲の人に嫉妬し、束縛する人だったらしく、生まれた息子さんにさえ嫉妬し、抱っこも1度しかしたことなかったのだとか。

仕事と称し、自宅に帰ってくるのは週2日。それも、息子が学校に行っている平日に帰ってくるという徹底ぶりで、ほとんど息子さんとは口もきかなかったそう。

フランス語も話せず、異国の地で孤立する蒼山さんに優しい言葉をかけることもなかったそうですが、蒼山さんの切り絵作品が世の中に認められるようになると態度を一変。でも、そこにはやはり嫉妬が含まれ、蒼山さんは常にその夫に気を遣う日々を送っていたようです。

そんな生活にたまりかねた青山さんは、弁護士に相談し二ヶ月で離婚。自分が両親の離婚を経験し、そんな思いを息子にさせたくないと思っていたようですが、息子は逆に離婚を勧めてくれたのだと言います。

文にすると、その大変さも半減しますが、青山さんがフランスに暮らした20年間は、凄まじいものだったに違いありません。
同い年ながら、私だったら…と考えるとゾッとします。
よくもまぁ、そんなに我慢できたなぁと。

でもそこには、自身の両親の離婚に端を発する反面教師の部分があったようです。理想的な家庭を築きたい、自分のような思いを息子にはさせたくない…。

何だか心が痛いですね。

この現代で人種差別って…!?

蒼山日菜さんは、フランスで人種差別も受けたそうです。

1990年代前半からフランスに渡っていたようですが、まだそんな時代だったのでしょうか。

今では、パリに移住する日本人も多いですし、私の知人も毎年夏には南フランスにバカンスに出かけます。
確かに、フランス人は自国へのアイデンティティから英語は話さないと聞いたことがありますし、前段の私の友人も、「フランス語なんてわからないから、無理やり英語で話すと仕方なく英語で話してくれる」と言っていましたので、地方にはまだ「人種」に対して強いこだわりを持つところもあったのかもしれません。

でも、当時蒼山さんは、つばをはかれたり、義理の両親からもいじめを受けたり、辛い思いをされたそう。一時はうつ状態にもなったそうですが、それを救ってくれたのが「切り絵」だったそうです。

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ハサミひとつで人生を切り開いた蒼山日菜がすごい

蒼山さんが切り絵作りに没頭することで、嫌な現実から逃避できた、人生を切り開くことができたというのは、多くの悩める人にとってよいヒントのような気がしますね。

幼い頃から絵を描くことが好きだったようですので、芸術についての才能もあったのだと思いますが、それがフランスに住むことで「切り絵」というものに出会い、人種差別や夫からの冷遇という辛い生活だからこそ「切り絵」に没頭することになった。
人生って、どうやって好転していくかわかりませんね。

蒼山さんのこれまでの人生を見て私が思うのは、辛い生活に耐えかねて自ら命をたつ人たちのことです。蒼山さんもそうなってもおかしくないくらい、辛く苦しい日々を送っていたに違いありませんが、自分が没頭できるものに出会ったことで、出口を見つけることができました。

「逃げる勇気が必要」ということがよく言われますが、こういう逃げ方もあるな~と考えてしまいました。
蒼山日菜さんを、蒼山日菜さんの生き方を多くの人に知って頂きたいですね。

これからも蒼山さんのご活躍を期待しています。

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