吉川ひなのさんの新エッセイ本が発売になります。
それに先駆けて、その一部がネットで公開されて反響を呼び、発売前から重版がかかるというすごい事態になっています。

あの作家のはあちゅうさんが「すごく良いものを読んだ」と書いていたので、早速読んでみたのですが。
衝撃でした…。

あんな明るさの裏に、壮絶な生い立ちがあったこと。
そして、自分の言葉で話すひなのさんの姿が、私の知っている「吉川ひなの」さんとは全く別人だったこと。

文章を読んでみると、今のひなのさんがあるのは、旦那さんの存在が大きいようです。吉川ひなのさんにとっては、2番目の旦那さんでもある一般男性です。

今回は、吉川ひなのさんを大きく変えた旦那さんの存在に迫ってみたいと思います。

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吉川ひなのの旦那とは?

吉川ひなのさんが最初に結婚したのは、1999年。
ひなのさんが19歳のときでした。
歌手のIZAMさんとの電撃結婚でしたが、
なんと、7ヶ月でのあっという間の電撃離婚。

それから12年後の2011年。
今の旦那さんと結婚されました。
その旦那さんというのが保科爵介(ほしな たかすけ)さん。
吉川ひなのさんと結婚した当時は、会社の経営者だったそうです。

ネットを見ると、少しやんちゃな経歴もお持ちのようですが、
現在はひなのさんとお子さんたちとのハワイ暮らし。
よき夫、よき父親のようです。

ハワイで生活することについては、ひなのさんと話を重ねに重ねた末の決断だったそう。

今でもひなのさんはファンが多く、様々な活動をされているとは言え、
ハワイでの豪華な一軒家ぐらしはなかなかにリッチな雰囲気。
旦那さん自身、仕事の本拠地をハワイに移して、ビジネスに取り組み、その腕も確かだということなのでしょう。

吉川ひなのの壮絶な生い立ち

吉川ひなのさんの新エッセイ「わたしが幸せになるまで 豊かな人生の見つけ方」では、これまでひなのさんが語ってこなかったことも語られています。

その壮絶とも言える生い立ちは、多くの人にとって、かなり驚きだったはず。

「両親はわたしの稼いだお金で借りていた豪邸の玄関で顔を青ざめさせ、
よくわからない言い訳を繰り返し、
数時間後にやっと持ってきた通帳には
豪邸の家賃の1ヶ月分にも満たない額しか残っていなかった。

それまでに親にされてきたことや彼らの性格から、
あまり貯金をしてくれていないことはなんとなく予想していたけれど、
まさか月々入ってきてるはずの収入をここまで使っていたとは思っていなかったから、
わたしは愕然とした。」

文章の端々に、自分の両親という、本来なら一番信頼すべき存在に対して、常々、不信感すら抱いていた様子が伺えます。

幼い頃から、電話や電気が止められる生活。
学校に行く前から借金取りが取り立てに来る朝。
給食費だって払ってもらえていない。

つらい生活の中で親に楯突こうものなら、
「うちはまともだ!」とひなのさんを黙らせた母親。
「お金は、貯金箱に貯めた500円玉しか残っていない」と告げると、
その貯金箱すら持ち去った父親。

こんな両親の元で、心身ともに子どもが健やかに育つはずなどありません。

吉川ひなのさんは、ネイティブ・アメリカンとフランスの血を引くクオーター。
でも、そこから来たスタイルやルックスの良さはあったにしても、
芸能界に入るまでのひなのさんは、大変な人生を歩んで来たことがわかります。

今回のエッセイでは、芸能界に入ってもてはやされ、
周囲の大人たちがひなのさんの機嫌を損ねないようにふるまっていた様子も描かれています。
「姫」と呼ばれて、まさにその扱いもお姫様状態。
自分の意志は何も反映されず、やりたいことなど何もできなかったと言います。

芸能界という違う世界に飛び込んでも、結局は何かに縛られた生活から逃れることができなかったのです。

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旦那の存在が吉川ひなのを救った

とうとう仕事ができなくなり、心もどんどん荒んでいった吉川ひなのさんですが、
20代の半ば、現在の旦那さん、保科さんに出会います。

自分のこともうまく受け入れられないひなのさんは、
他人のことも受け入れられない状態でした。
周囲の人は、そんなひなのさんを腫れ物でも触るかのように扱っていたそう。

でも、保科さんは違いました。
ひなのさんにはっきりとものを言い、真摯に向かい合ってくれたのです。

そして一緒に暮らすようになったものの、
ひなのさんのそれまで負ってきた傷はなかなか完治せず。
そこで、入籍をする日は約1年後と決め、それまでの間、留学をすることとし、最初の目的地をハワイと決めた矢先、ひなのさんの妊娠がわかりました。

それから様々な迷いや葛藤があったものの、妊娠途中からハワイでの暮らしをスタートさせたひなのさん。
すると、それまでとらわれていた自分の凝り固まった価値観や空虚感から、解き放された自分を感じたのです。

保科さんとは話し合いを重ね、ハワイへの移住を決定。

ひなのさんは、Instagramで旦那さんのことをこんなふうに言っています。

「信じられないくらいイヤなことを言い合ってお互い、もう一緒にいたくない!と思ったり、だけど人生で一番の素晴らしい瞬間をふたりで経験してきたり、たくさんの思い出や価値観を共有しながら一緒に生きている、かけがえのない存在で。」

「彼とわたしは見えてる世界も好きなものも全然違くて、話が合わないこともたっくさんあって。だけど、一番大事なことが同じような価値観で話せたりするから、分からないところもそれはそれでお互い尊重してて。」

「彼に出会ったころのわたしは全然自己肯定ができなくて、どんなことにもこれでいいのかなと迷っていたし、自分に自信が持てなくていつも不安だった。

だけど彼が何年も何年も、今だって、それでいいんだよ。大丈夫だよ。と背中を押してくれて、時には考え過ぎて空回りしてるわたしに、もっとシンプルだよ。と言い続けてくれた。」

現実から、目の前にいる相手から目をそむけず、言葉をかわすことで、いつしかひなのさん自身が抱えていたいろんなものを脱ぎ去ることができたということですね。

結婚から10年以上経つ今でも、夫婦でとにかく会話をするそう。
喧嘩しても喧嘩しても、とにかく話す。
これって、元は他人である夫婦にとっては、本当に大切なことなんですね。

まとめ

ハワイに暮らす吉川ひなのさんの様子を、YouTubeなどで見ることができますが、
その生活の様子や表情は、本当に自然そのもの。
特に、私も子育てをする身なので、その子育て観には惹きつけられるものがありました。

娘さんはオルタナティブスクールに通っているそうですが、
日本でも、注目を浴びつつある学校ですね。

個人、個性を尊重することを重きを置いて、主体的に、自律を大切にしながら学びが進められていくのが特徴ですが、ひなのさんも子育てについては、
小さい頃から「人と自分は違って当たり前」ということを子どもたちに伝えてきたそう。

ひなのさん自身、幼い頃から、家族の中でも、また社会に出てからも、常に周りの目を気にしたり、無理矢理にでも同調しようとする中で、違和感を感じながら生きて来られました。
だからこそ、子どもは逆の環境に入れたというひなのさん。

いろんな自分を縛るものから逃れ、今は本当に自然なはつらつさを感じます。
自分を変えるには、環境を変えることだとよく言いますが、
生活の場をハワイに移したことは、本当に大正解だったのでしょう。

そして何より、旦那さんの存在。
ひなのさんのお話は、「対話すること」の大切さを教えてくれる、よいエピソードです。
好きなものも性格も違う他人同士が、対話を重ねることで価値観をすり合わせていく。
これが本当の夫婦の姿なのかなと思いました。

私にとっては年下のひなのさんですが、その経験値は先輩レベル。
経験しては考え、悩み、そしていろんなものを取捨選択して、自分の力で未来をつかみ取っていく。
これが自由であり、幸せなのかなぁと、思ったりします。

本が手元に届くまであと数日。
続きを読むのが楽しみです。

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