毎週日曜の夕方、サザエさんを見ると悲しくなるという人が多いと言いますが、私はサザエさんを見ると「さぁ、明日からもがんばろう」と思えるぐらい、サザエさんからいつも元気をもらいます。
そんなサザエさんの登場人物・ワカメちゃんにモデルがいたことは知りませんでした。
それが長谷川町子さんの姪・長谷川たかこさんです。
そんな長谷川さんはパリ在住。とても素敵なパリマダムですが、長谷川たかこさんはなぜパリに住むことになったのでしょう。
今回は、長谷川たかこさんに迫ってみます。
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ワカメちゃんのモデルは長谷川たかこ
「サザエさん」の作者・長谷川町子さんと言えば、日本で初めてプロとなった漫画家と言われている人。その姪にあたる長谷川たかこさんがワカメちゃんのモデルになったと言われています。
長谷川町子さんは姉の毬子さん、そして妹の洋子さんとの三姉妹です。
1979年に、NHKの連ドラとして放送された「マー姉ちゃん」は姉の毬子さんをモデルに描かれたもので、毬子さんは長谷川町子美術館の館長も務めました。
そして三姉妹の末っ子、洋子さんが長谷川たかこさんの母親です。
洋子さんは読売新聞社に務めるご主人がいましたが、若くして癌で他界。
元々、長谷川家の敷地内の離れに住んでいたようですが、ご主人が亡くなったことで、
住んでいた離れと母屋をつなげて、一緒に暮らしていたそうです。
長谷川町子さんの作品を専門に扱っていた姉妹社も同じところにあり、長谷川たかこさんは幼少の頃から、会社と長谷川町子さんの創作現場とで成長してきたということになりまね。
何でも、描きあげた漫画を一番にチェックするのがたかこさん姉妹や母親の洋子さんだったようで、何とも贅沢な環境で生活されていたことがわかります。
長谷川たかこがパリで暮らし始めた理由
世田谷区にある長谷川家で育った長谷川たかこさん。パリとどんな関わりがあったのかなと、私だけでなく、いろんな方から質問されることが多いそうです。
長谷川たかこさんが初めてパリを訪れたのは13歳の時のこと。
おばの長谷川町子さんの取材旅行に同行し、ヨーロッパの国々やエジプト、イスラエル、ソ連を訪れたことがあったそうです。
その時、訪れたパリで「一目惚れ」したのだとか。特に、言葉に惹かれたそうで、
「この言葉をしゃべれるようになろう」
と中学生ながらに思ったそうです。
その後、上智大学の仏文科を卒業し、アメリカのペンシルヴァニア大学での留学を経て、パリのソルボンヌ大学に留学。
そして1985年以来、パリで暮らしていらっしゃいます。
アニメプロダクションを経営していた夫・アランさんと出会い、一男一女をもうけ、大好きなネコたちとパリで暮らす日々をブログや本に綴っているたかこさか。
でも、幸せなことばかりではなく、フランスならではの人の気質や文化に翻弄される部分も多い気がします。
それでも、長谷川たかこさんは、そんないいところも悪いところもひっくるめて「パリ」が好きなんだそう。
そんな土地に出会えたのって、本当に幸せなことですね。
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長谷川たかこが素敵!
長谷川たかこさんは、おばの長谷川町子さんの影響か、フランスなどの漫画を翻訳したり、日本に紹介する仕事もされています。そのほかにも、「フレンチ・コード」というサイトでフランスのさまざまな角度からの生活や文化の紹介をされていて、どれもとても興味深い記事ばかり。
二人の子供さんたちとの関わりもくっつかず離れずと言った感じで、同じ母親としては、よいお手本になります。
ただ、こんな素敵なパリ生活のきっかけとなったおば・長谷川町子さんと母親の洋子さんは、町子さんの生前、ちょっとした行き違いで絶縁状態になっていたとか。
町子さんが亡くなったことも遺言でしばらく知らせられなかったと言いますから、たかこさんとしても残念な部分があったのではないかと思います。
生涯結婚しなかった長谷川町子さんですが、たかこさんら姪たちとの関わりで母性が満足していたことを公言されていますし、町子さんとしても、最期はたかこさんのことを思われていたのではないかと想像してしまいますね。
とにもかくにも、長谷川たかこさんについて調べるうちに、すっかりファンになってしまいました。私もこんなふうに年をブログ重ねていきたいものです。
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私もフランス語が大好きで勉強してますが日本に住んでてお喋り相手が
おりませんので上達しません。
たか子さんが羨ましく思えます。
たか子さんは希望どうりパリで暮らしていて羨ましいです。
たか子さんの夫や子供達は、たか子さんの伯母(町子)が日本アニメーションのレジェンドだった事を知っているのだろうか。ぶっちゃけフランスで大好評だった「ナルト」も「ドラゴンボール」も「聖闘士星矢」も「セーラームーン」も、「サザエさん」の前では小僧っ子に過ぎない。