「奇跡体験!アンビリバボー」で銀行員が大金と一緒に行方不明となった事件が紹介されます。
もちろん、現実に日本で起こった事件が題材です。
事件の舞台となったのは、1977年の群馬県前橋市。
今から40年前のこの地方都市で一体どんな事件が起こったのか。
全容を知ると、悲しさと怒りがこみあげてくる事件でした。
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群馬で銀行員が行方不明に!
事件が起きたのは、1977年7月25日の群馬県前橋市。
日本の経済も安定成長の時代に入ったこの頃、地方都市・群馬で1人の銀行員が姿を消します。
当時、45歳だった群馬銀行本店で渉外係をしていた男性行員が、お得意先で集金をした後、行方をくらましたと言うのです。
帰社時間になっても戻らないことを不審に思った同僚が探し始めたことで、この男性が行方不明となったことがわかったわけですが、男性と一緒に消えてしまった金額がかなりのものでした。
現金で780万円超。加えて小切手が額面金額で1000万円超。
合計すると約1800万円が男性と共に消えてしまった、男性の乗っていた社用車残されバスに乗った男性が複数の人から目撃されていた、これらの理由から、周囲はこう判断したわけです。
「持ち逃げによる失踪」
お金を持ち逃げしたとされる男性はもちろん、1800万円もの大金も、その後なかなか見つかりませんでした。
銀行員行方不明事件の真犯人とは
しかし、事件から5年後…。
現場となった日本生命前橋支社ビルの重油タンクの中から、ある遺体が発見されます。
そう。それは5年前、大金を持ち逃げしたとされた男性行員でした。
発見からほどなく、男性の命を奪った男が逮捕されます。
男性の失踪当時、日本生命前橋支社のビルの管理人をしていた男で、逮捕された時は東京のパチンコ店で住み込みとして働いていたと言います。
男性を襲った動機は、サラ金から500万円の借金があったこと。奪い取った金を借金返済にあて、残った金は性懲りもなくまたギャンブルに使ったとのことでした。
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誰のせい?誰のせいでもない?
この事件の被害者は、いったんは「持ち逃げ犯」のレッテルさえ貼られた銀行行員です。
男性がいなくなってすぐ、妻は捜索願を警察に出したと言いますが、「持ち逃げ犯」という判断をくだして相手にしてくれませんでした。
世間から、夫を「持ち逃げ犯」とされた妻と子が、どんな扱いを受けたかは想像できますよね。
きっとそれはそれは心身ともに苦しい日々が続いたことでしょう。
なんと、夫の失踪から4年経った夏のある日、自宅で自らの命を絶つという道を選んでこの世を去りました。
夫のことを信じながら、でも周囲からさまざまな扱いをされる中で、もしかしたら夫を疑ったことも、憎んだこともあったかもしれませんね。
真犯人が逮捕され、真実が明るみに出たのは、妻が亡くなってから1年以上経ってから。
せめて、夫の遺体がもう少し早く発見され、事件の真相を知ることができたなら、妻のとる行動も変わってきたのではないでしょうか。
もし、この事件が現代の社会で起きたことなら、街のあちこちに設置された防犯カメラが男性行員の無実を映していたかもしれません。
バスの中で目撃されたという証言も、実は見間違いであったことが、物証として示せたかもしれません。
警察の判断も現代ならもう少し慎重でしょうし、もっといろんな考えを示すメディアもあったかもしれません。
誰のせいと言えば、一番責められるべきは、ギャンブルで作った自らの借金のため、人の尊い命を奪った犯人ですが、家族が世間に白い眼で見られ、追い詰められるような事態だけは本当ならあってはならなかったはずです。
真犯人にも当時、一緒に暮らす家族がいたと言います。
それなのになぜ、としか言いようがありませんね。
この事件の教訓
最近、よく言われるのは、この情報があふれた時代、どの情報を取捨選択するかは自己責任だということ。
その近くに身を置かなければわからないということは、私たちの周りに山のようにあります。むしろほとんどがそんなことだらけです。
なのに、私たちは、メディアや報道に踊らされ、見知らぬ誰かに判断をくだしています。
それがその人の一生を左右するようなことかもしれないというのに。
真実を知る努力をする。
真実を見抜く目を持つ。
こんなことを常に気掛けながら、私たちは「情報」というものに向き合わないといけないですね。
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