浅野ゆう子さんが結婚されていたことを発表されましたね。
結婚相手は同世代の一般人男性ということで、末永く幸せになって頂きたいと思いますが、今回の結婚を機に、以前浅野ゆう子さんと交際されていた田宮五郎さんがクローズアップされています。

田宮五郎さんは、昭和の名俳優・田宮二郎さんの次男です。
田宮二郎さんには二人の子供がいて、田宮五郎さんと兄の柴田光太郎さんです。

父親は自ら命を絶ち、五郎さんは病に倒れ、芸能界で生きて行くのかと思われた柴田光太郎さんは現在は高校の先生をしているとか。

ばらばらになってしまった家族に、いったい何が起こったのでしょうか。

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兄・柴田光太郎と弟・田宮五郎

兄の柴田光太郎さん(写真・右)は、1966年1月13日に田宮二郎さんと女優・藤由紀子さんの長男として生まれました。
それからちょうど1年後の1月13日、年子で誕生したのが弟の田宮五郎さん(写真・左)です。

名前が違うのが気になりますが、田宮二郎さんの本名は「柴田吾郎」
兄の光太郎さんはそのまま柴田姓を名乗っていますが、本名は「柴田英光」
弟の五郎さんは、父親の芸名を引き継いで田宮姓を名乗っていますが、本名は「柴田英晃」と言います。

兄は、学習院の初等科から大学までエスカレータで進み、その後母校で教師をしていましたが、その後レポーター業を皮切りに芸能界入り。
弟は、東京農業大学在学中から、俳優になることを志望していたものの、俳優になるのならいろんな人間を知った方がいいという父親の言葉を守り、大工や造園業、料理人など様々な職業についた後、39歳で俳優デビューをされました。

誕生日も全く同じで顔もそっくりの二人。

同じ芸能界に進んだ兄弟ではありましたが、兄の光太郎さんは、父親が亡くなった後、執拗なマスコミ攻勢にあったこともあり、一部では芸能界に向いていなかったという話もありますが、高校の英語教師に重きを置いた生活をされています。

そして、五郎さんは40代なかばにしてくも膜下出血に倒れ、交際していた浅野ゆう子さんの看病の甲斐もなく、47歳にして亡くなられました。

そんな二人の兄弟の間には実は大きな溝があったようなのです。

家族の確執の原因は?

1歳しか変わらない兄弟の間にあった溝。それを作り出してしまったのは、母親の藤由紀子さんだったと言われています。

43歳という若さで夫が亡くなった後、妻が心の拠り所にしたのは長男の光太郎さんの方でした。

兄の方ばかりを溺愛した理由はわかりませんが、夫の田宮二郎さんの母校である学習院を卒業し、母校で教師をする光太郎さんのことを、愛していた夫と重ねる部分があったのかもしれませんね。

夫の幻を追いかけてか、長男の芸能界入りを強く望み、息子はそれに従うも、やはりそれほど向いていなかったのか今はまた教師に戻り、東京の進学校・青稜高校で英語を教えているそうです。

弟は、大学を出た後、父の言いつけを守る形で職を転々とし、その途中で一度、中尾彬さんの姪っ子さんとも結婚をされていますが、結果離婚されています。40を目前にやっと役者となりますが、数年で病に倒れ、帰らぬ人となりました。

弟の五郎さんがくも膜下出血になったときも、母の藤由紀子さんも兄の光太郎さんも、特にサポートをすることはなく、それを見た浅野ゆう子さんは自分が五郎さんを守ると覚悟を決めたと言います。

家族の中の溝が年をおうごとに深くなり、結局埋まることなしに、兄弟は離れ離れになってしまったんですね。

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家族の中の子供という位置

田宮二郎さんの父親は、住友財閥の大番頭でした。そんなを父に持ちこの世に誕生しましたが、生後四日でその父を亡くし、母親も早くに亡くして、親戚の元で育てられたそうです。

元々外交官を志望していたものの、そのルックスで「ミスターニッポンコンテスト」に優勝し、芸能界への道に進みました。

親戚の元で育ったというと何となく貧しい家庭を想像してしまいがちですが、学習院大学を出たところを見れば、しっかりした教育環境が整っていたのかもしれません。

それでも両親を早くに亡くし、あまり本当の親の姿を見ずに育ったからか、我が子たちへの愛情のかけ方、家族というものの育み方がうまくできなかったのではないかという気もします。

兄は兄で母の期待にも応えたかっただろうし、父親の背中にも憧れていた。
弟は母親の愛情が兄に注がれるのを痛いほど感じながらも、父親と同じ道を歩んでいくことで、母の愛をいつかは取り戻したいと思っていたんじゃないかと、勝手に想像しています。

幸せな浅野ゆう子さんのおめでた話で、少し悲しいお話を思い出してしまいました。
皆さんは、どう感じますか?

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